支那の面子文化から学ぶ政治家の振る舞い
支那人と日本人の文化でよく相違として上がる
「メンツ(面子)」について触れよう。
彼等はこの面子というのを潰される事を嫌がる。
人前で激しく面子を潰されれば恨みは永遠だ。
私はここで支那人を蔑む気持ちは無い。
彼等は我々日本人が太古の昔弥生文化の時代に
もう既に王政を敷き、高度な統治をし、
隣国にすらその影響を与えていた人々だ。
我々日本人が彼等のレベルに至ったのは
せいぜい近世の事であって、大陸にて
覇権を激しく争った支那人は強固な精神を持つ。
その一つが面子という文化だ。
支那人が客をもてなす際は食べきれない程
食卓に菜が並ぶのも面子
自らの交友関係の広さ、仕事の偉大さ、権力
富の規模を競うのも面子である。
彼等とビジネスをやる時の鉄則は「否定をするな」
彼等は面子を重んじて生きている。
人に謝罪する事は面子を自ら潰す事でやらない。
他人に指摘される等は言語同断であるらしい。
私は似た人種を日本人の中に見出す事がある。
それは政治家だ。全ての政治家では無いが。
政治家の中には、国民住民の為では無く
自らの面子の為に仕事をする者がいる。
その面子政治屋どもは、自らがいかに偉大か
自らが人に認められているかにご執心だ。
行政に圧力をかけ、税を貪り使い、嘘も交え
自らの政治主張の正しさを喧伝する。
おくびにも悪びれず、必ず謝罪もしない。
私は日本人の和を尊び、礼節と義を重んじる
その文化を政治に持ち込む事にしている。
したがって最近苦労をしているのは
そうした「面子」にこだわる日本人らしくない
異文化政治屋とのコミュニケーションである。